財団法人ひょうご科学技術協会では、最先端の科学技術を一般県民にわかりやすく紹介する秋の特別講演会として「脳を鍛える」を開催しました。

1.と き 平成18年11月14日(火)14:00〜16:00
2.ところ 兵庫県立先端科学技術支援センター大ホール
3.主 催 財団法人ひょうご科学技術協会
4.参加者 316名
5.講 師 東北大学加齢医学研究所 教授
東北大学未来科学技術共同研究センター 教授(併任)
 川島隆太
講師は、1959年千葉市生まれ。東北大学医学部卒業。同大学院医学研究科修了。スウェーデン王国カロリンスカ研究所客員研究員、東北大学助手、東北大学講師を経て、現在は東北大学未来科学技術共同研究センター教授。医学博士。脳機能を調べる「脳機能イメージング研究」の日本における第一人者で、任天堂DS「脳を鍛える大人のトレーニング」は話題沸騰中。脳を活発に働かせ、脳の老化を防ぐには、どうすればよいのか?最新の研究成果をもとに脳とのつきあい方を語られます。
6.テーマ 「脳を鍛える」



<講師紹介:千川純一・兵庫県立先端科学技術支援センター所長>

 川島先生のご講義がNHK教育テレビの9回シリーズで放送された。ビデオにとって2回の拝見で大変感動した。文芸春秋の10月号でも「ボケない脳の鍛え方」を書かれている。
従来ボケとかアルツハイマー性痴呆症は決して改善しない≠フが定説であったが、川島先生はそれを打破する画期的な研究をされている。私はSPring-8と新しい関わりの可能性があると考えて、川島先生にお手紙を差し上げたのが、今回ご講演を戴くきっかけとなった。
 カルシウムは神経の情報伝達物質で、その血液中濃度は一定値(1リットル中0,1g)に厳密に制御されている。カルシウムは、少しでも不足すると骨を溶かし補充すると同時に、体内の全細胞に溢れてくる。不足なのに細胞内濃度が増加するのでカルシウムパラドックスと呼ばれている。
 細胞にはカルシウムイオンを汲み出すポンプと、流入の抜け道「イオンチャンネル」が備わっていて、ポンプはいつも働き、通常はチャンネルが閉じているので細胞内のカルシウム濃度が低く保たれている。信号はチャンネルを開いてカルシウムの流入で伝達される。カルシウムが不足すると、チャンネルが開いてしまい、カルシウムが細胞中にあふれ、情報伝達が阻害され、種々の病気の原因となるので、チャンネルの開閉を知る簡単な方法が求められてきた。しかし、細胞を分析しても、その貯蔵庫があるので、このカルシウム増は検出できない。
 そこで毛髪に注目した。毛髪は毛母細胞で作られ1ヶ月に1センチメートルほど伸びる。この毛母細胞への流入は毛髪への流出と平衡するので、毛髪分析で細胞への流入量がわかり、カルシウム不足を知ることができる。SPring-8を使うと毛髪1本で長さ0,2ミリメートルでも分析でき、毛髪カルシウムはチャンネルが開の高い値と閉の低い値との二つになり、その中間値がないことが分かった。
 乳がんで現れる「しこり」は主としてカルシウムが成分で、その制御の乱れが予想される。実際、患者の毛髪分析をしてみると、健常者では見られない中間値が現れた。患者の毛髪を毛根から先端へ分析した結果から、乳がんは長期にわたって続いたカルシウム不足の状態、すなわち毛髪カルシウム濃度の高値で発生し、ガンの成長とともに濃度が降下し中間値を経て低い正常値に近づくことがわかった。それゆえ、カルシウム剤で不足を解消してガンを予防できる可能性があり、また、超早期発見ができることが示された。
この毛髪分析を応用して、脳内で重要な働きをしているカルシウムとアルツハイマーなどの脳の病気との関係を追及する共同研究が計画され、川島先生のご指導をいただくことになった。
 生体の情報伝達物質には、カルシウムのほかに、カリウム、ナトリウム、マグネシウム、塩素などがあり、これらのイオンポンプはすべての細胞に備わっており、人体の全エネルギーの3割を消費している。情報はまさにエネルギーで、研究課題としては、まだまだ奥行きが深い。




<講演概要>

構 成:
  脳のしくみ
  脳を活発に働かせ、脳の老化を防ぎ、脳を発達させる
  脳の司令塔である「前頭前野」の働き
  リアルタイムで脳の働きを調べる
  音読や計算の教材を使う「学習療法」が多くの認知症高齢者に効果的
  前頭前野の活性化と鍛え方「三原則」
  いくつかの症例から――読み書き計算の効果
  脳ウェルネス活動から市民ボランティア活動へ

はじめに
 1891年創設の東北大学医学部に籍をおいている。
 独立行政法人としての大学に身をおいているが、研究費用は皆さんからの税金を頂戴している。私たちの基本的な使命は、真理を探究し人類に新しい知恵をもたらし、学術の成果を世の中の発展のために役立たせることである。象牙の塔に籠もって、学問的な興味だけに埋没するわけにはいかない。
 人間の脳の研究は巨額な費用がかかる。95パーセントは研究に集中するとしても、せめて使った税金の5パーセントだけでも社会に返し、皆さんの生活に関わる領域でお役に立てるよう、努力をしなければならないと考えている。
 千川先生にお招きいただいたが、カルシウムの代謝と「認知症」とは深く関わっている。脳科学の研究はいまや認知症の改善方法へと進んできている。
 私は認知症の専門家ではない。本来の研究テーマは「脳機能の計測方法」で、脳のどの部位がどのように働くのか、(情報をビジュアルに取り出す)脳内の画像情報の“イメージング”あるいは“マッピング”の研究に取り組んでいる。その研究成果を広く社会還元のために使いたい。皆さん方に研究から得られた“知識、ノウハウ”を生かしていくことが大切だと考えている。

1.脳とは
 講演の序段では、先ず「脳の機能」について説明する。
 脳の構造は大別して次の「4つの部位」で構成され、それぞれが多様な機能を受け持っている。
  • 前頭葉……運動機能
  • 頭頂葉……触覚機能
  • 側頭葉……聴覚機能
  • 後頭葉……視覚機能
 また頭頂葉は「空間情報」、例えば地図で自宅から職場への経路、机の周りに何が散らばっているか位置関係など認知する能力を受け持ち、側頭葉は「形の認知や記憶」など、人の顔の識別、漢字の覚え込みなどの機能を持つ。
 これらの部位は単独で機能するわけではない。人が会話を交わすときに、側頭葉の下隅にある“ウエルニキヤ(野)”と呼ばれる部位が働き、それが前頭葉の上隅の“ブローカヤ(野)”に伝えられ、言葉の意味を理解し、言葉をつくる“造語”の機能が発揮される。脳の機能は場所毎に全く異なるが単独で機能するのではなく、左右の前頭前野をきちんと使うことによって、相互にネットワークして人間らしい複合的な°@能を発揮する。
 従来盛んに言われていた「右脳、左脳」という単純な区分による表現の仕方は根拠のない、誤った話である。脳の研究ではどこが、どのように働くのかを知ることが重要である。

2.前頭前野の働き
 もうひとつ注目すべき部位がある。前頭葉の前、つまり“おでこ”のすぐ内側に当たる「前頭前野」と呼ばれる部位である。人間のみが発達しており、他の動物とは全く異なる部位である。
 機能的にはかつて“沈黙の脳”と呼ばれていた。20年前までは機能がよく分からなかった。切除してもあまり障害が無いようにも思われていた。
 ところが前頭前野の働きが次第に分かってきた。考える力、集中する力、記憶する力、創造する力、感情や行動を制御する力、いわゆる我慢する抑制の力。
そしてコミュニケーションの力として左側の脳が言葉をつくり、右側の脳が表現やゼスチャーを表すなど言葉以外に表現する力などの機能を発揮する。
 意欲・集中力、行動・情動の制御、自発性・身辺自立、記憶・学習、思考・創造、コミュニケーション、これらの機能は大人の脳の健康を維持したり、子供の発達に深くかかわる機能そのものとも言える。
 いわば前頭前野を健全に発達させることは、すなわち子供を健全に育むことに他ならない。この分野は子どもの生きる力をつける≠アとに関わっているだけではなく、加齢による脳の老化現象を防ぐためにも非常に重要である。子どもより高齢者が研究対象として扱いやすい。
 私たちにとって一番重要なことは将来を担う子どもたちが健全に、健康に発育していくことである。研究のきっかけはそれには「子どもたちの脳がどうやって健康に発達していくか、学校や家庭でどうして行けばよいのか」を考えていこうというところから始まった。
 体力や脳の発達は20歳代がピークで、過ぎるとどんどん衰えていく。前頭前野の劣化が進むと、固有名詞が出てこない。ご家庭でも夫婦間で「それ…、あれ…」と指示代名詞の会話が増えてくる。阿吽の呼吸と言えば聞こえは良い≠ェ前頭前野の劣化現象、記憶の刷り込み障害に他ならない。
 また、情動の制御が劣化してくる。テレビの画面にすぐに涙ぐむようになる。めったに涙を見せなかった人が涙もろくなり、人間的になったといえば聞こえは良い。しかし怒りっぽくなる現象などと同じく、老人劣化の症状である。
 認知症は家族や、社会との接点が少なくなる。五感の“ブレ”が著しくなり、コミュニケーション力が衰えてくる。自ら避ける傾向が嵩じると、次第に意欲や自発性・身辺の自立喪失に繋がる。
 したがって「前頭前野を鍛える」ことによって認知症を改善し、アルツハイマー症を持っていても家族と楽しく暮らす≠アとができる、このようなことが可能のはずである。

3.脳の働きをどのように調べるか
前頭葉機能検査では、つぎのような”FABチェック”を行う。
※ FAB:前頭葉機能検査 Frontal Assessment Battery at Bedside
   6つの検査項目から構成
   特色は前頭葉機能に強く関わると思われる複数のテストを組み合わせて、結果
  を総合的に解釈すること、比較的短時間で実施できること。
 (1)類似点(もしくは抽象化)の抽出
バナナとリンゴの(画像を見て)類似点を挙げてもらう。果物という類似性を見出す。
 (2)類似点(もしくは抽象化)の抽出
「か」で始まる単語を60秒に、いくつ言えるか
 (3)運動プログラミング
行動プログラムの選択課題として、手を使い3つの異なる形を連続的に繰り返す。
両手を使い、握りこぶし−手がたな−手のひらを打つ、という単純な3つの動作を繰り返す。右手でグー≠つくる、右手の手刀をつくる、手刀で左手のひらを打つ。連続して行なわせ、そこでの誤りの回数をみる。
 (4)葛藤場面での対処を見る課題
検査者が1回手を叩けば、被験者は2回叩く、2回手を叩けば、1回叩くというように、弱い刺激(1回)には強く(2回)反応し、強く(2回)には弱く(1回)反応を返す。
 (5)Go/No―go(抑制コントロール)課題
単純な3つの動作を行なうが、決められたルールに基づいて検査者の合図とは異なった動作を選択していく。例えば検査者が1回手を叩けば、被験者は2回叩く、2回叩けば手を鳴らさないなど、反応の抑制を見る。
 (6)手の把握反応(もしくは環境依存反応)課題
被験者には両膝に自分の手を、手のひらが上になるように置かせ、検査者がそこに「私の手を握らないでください」といいながら軽く検査者の手をのせる。教示を無視して、刺激のみに従うとすれば被験者は思わず手を握り返す。
前頭葉損傷患者に見られる道具の強迫的使用や模倣行動≠ネど環境依存症の有無を確認する課題。
 その他いくつかのテスト方法が開発されている。例えばストループテストでは「あか、あお、きいろ、みどり」の4つの“ひらがな”に色をつけて、ランダムに見せる。声を出して“文字”ではなく、彩色されている「色」の名前で答えるテストなど。
 これらのテストで右脳も、左脳も前頭前野が活発に働くことが分かってきた。
 これらの脳のテストによって何をすればどこが、どのように活性化するか、前頭前野を少し改善すれば、痴呆性から正常へ改善できることが分かってきた。
 仙台でFABチェックを行い、5歳の幼稚園年長組みと高齢者との相対比較を行なった。このテストでは満点は18点となり、小学生の高学年であれば満点を取る。
 8〜5点がグレーゾーンで、60歳から加齢するに従い正常な人でも低下してくる。痴呆性でもバラツキが大きい。高齢者ではグレーゾーンが広く、正常と痴呆性との差が少ない。
 このように脳の働きをイメージングして、適切な情報処理力や行動の制御力について研究を進めている。
 仮説ではあるが、脳には多数のコンピュータが存在し、それぞれが単独で働くだけではなく、どうも複数で相互間のネットワーク的な働きをしているようである。
 劣化した機能だけを改善するリハビリ的な運動をやってもなかなか回復しない。脳の部位間の連携したリハビリ運動をすることによって、始めて脳の働きを取り戻す効果が高められる。
 前頭前野が担う機能は、言葉を換えると「子供の生きる力を伸ばす」ことに等しい。前頭前野を鍛えるということは子どもたちの「生きる力」をつけるということに繋がる。特に前頭前野の「実行機能」に注目している。
 何らかの作業をやることによって、メインコンピュータの機能が高められる。転移という現象によって、あるトレーニングを行なえば、関連して他の機能も高められる。
 右手である動作を学習すれば、その動作は左手に継承される。しかし左手の学習は右手には転移されにくい。

4.前頭前野をどのように鍛えれば活性化するのか。
 前頭前野の機能を研究する上で、イメージングあるいはマッピングの技術が大変大きな効果を上げている。
 ファンクショナル(functional)MRI(注:脳の動きを調べる大型コンピュータが入った装置で、脳のどの場所が何をすればどう働くのかを画像にして見せることができる)によって、脳が人間の活動でどのような反応しているか解析してみると、沈思黙考の状態では左脳の前頭葉の上隅部と、右脳の後頭葉の下部の異なった部位を使っている。
 ブレーンマッピング図のように「静かに考えている」状態では、受け持つ脳をいっぱい使うのではなく、ごく一部しか使っていない。
 体の筋肉は使えば本人はすぐ分かるが、脳はどのように使っているのか本人はよく分からない。大脳生理学はサルの研究成果で大きく発達してきたが、しかしここ20〜30年の間にしか過ぎない。
 脳への刺激は耳で聴く、指先を使う、両手を協調させると非常に効果が高いことが分かってきている。
 コンピュータゲームは子供の発育に悪いといわれているが、図のようにテレビゲーム中の状態では左右の脳の約1/4も使っている。楽しいときは人間の脳はよく働く。
(勉強や仕事など)いやいやながら指を使う運動ではあまり脳は働かない。脳をよく使う、脳をそれほど使わない、これらのデータをペアにしてゲームソフトの「任天堂」に売り込んだらビジネスになると思い、当時の教授と取り組んだがうまくはいかなかった。
 さらに研究を進めると、脳は単純な「足し算」でも、もっと働くことが分かってきた。足し算では左右の脳の約1/2を駆使する。
 計算トレーニングでは前頭前野の左脳・右脳がいっぱいに働き、活性化に効果が高い。足し算を一生懸命に、しかも早くやると効果が高い。しかも子供から高齢者まで共通して同じ効果が表れる。
 同僚に偉い数学者がいる。
 「オレは君らと違って絶えず難しい数学を考えているから、単純な足し算では脳は働かない」と豪語していたが、無理やりに実験台になってもらった。画像に測れば全く同じ結果となった。
 複雑にモノを考えることは実は脳のトレーニングにはならない。それよりも簡単な計算問題を解いたり、声を出して本を読んだりすることが、非常に良い脳のトレーニングになることが科学的に分かってきた。
 ものを書くことと記憶することとも関係が深い。
 単語(言葉)を聞いているだけでは脳は活性化していない。文章を読むと記憶する。
 さらに書きながら記憶すれば脳のもっと多くの領域が働く。書いて覚えるかどうかで脳の働きが違ってくる。前頭前野は覚えたものをどう使うかを教えてくれる。
 知識が豊富で引出して使いやすいことと、頭の良し悪しとは別物である。書くことの習慣と繋がっているのかも知れない。
 日本語を読むことは、読書(黙読)と比べて脳機能が活発に働く。ただ難しい文章を(声を出して)読んでも、意味のない文章でも効果は同じで、声を出して活字さえ読めばよい。
 簡単な計算や音読を毎日繰り返すきわめてシンプルな内容であるが、毎日積極的に、脳を使う習慣をつけることで、脳の機能の低下を防ぐことができる。

5.脳機能の計測――光トポグラフィー
 単純な計算だけで脳機能が働き、しかも広範囲に動き、刻々と働く部位が変化していく。
 書くことも大変重要で、手紙などはいい材料である。ぜひとも手書きをお勧めする。
 パソコンのメールは一見手指を動かして行なう作業なので、同じように効果的と思われるがダメである。
もともとコンピュータは脳の前頭前野を補助し、脳に変わって人間を助ける代替装置である。これに頼ることは楽をすることなので、前頭前野が働かなくなるのは当たり前。
 脳を使わなければ、イコール寝たきりになるリスクが高い。
 食事と脳との関係も深い。脳を働かせるエネルギーを供給するのはブドウ糖で、朝食を抜くと脳の活動を低減させてしまう。朝食抜きに学校へくる子ども、脳が活発に働く時間帯にこれでは勉強ができない。
 料理は脳を使う上ではすばらしい作業といえる。どのようなメニューにしようか、冷蔵庫にどのような材料があって、どのように使うかを考える。手指を使って切る、炒める、お皿を選んで、盛り付けにも頭を使う。脳を活性化する上では効果が高い。共同作業ならなおベター。女性が元気で長生きするのは案外このようなことも影響しているのではないか。「料理が脳を鍛える」というメッセージを発信していきたい。
 高齢者への配食サービスは見直さなければならないと思っている。なぜなら高齢者が料理をしなくなることはそれだけ脳を使わなくなり、ボケが早まる。ユーザーにとって二重苦となる。ご飯を作る能力のある人に配食サービスを行うことは、脳をトレーニングする機会を奪うことに等しいので、見直したほうが良いのではないか。
 脳と体を使わなければ早くぼける。“バリアフリーとは”本当は間違っているのではないかとさえ思える。

6.前頭前野を鍛える三原則
 痴呆症はほっておけば脳の働きがどんどん悪化していく。脳の研究では痴呆症の高齢者を使った研究から始めた。
 痴呆症の高齢者に脳を活性化させるためいろんなことを試行する中から、音読や計算を毎日続けてやってもらう、毎日の繰り返しだけで、前頭前野の働きが良くなっていくことが分かってきた。前頭前野の様々な機能の中でも「他人とコミュニケーションする力」が向上してくる。コミュニケーションの向上は、やがて自分で身の回りのことをやる身辺自立の感覚≠取り戻すことができるようになる。
 これまでの研究成果で、脳の鍛え方として科学的に以下のような方法を取れば効果が高いことが分かってきた。
 (1)読み書き計算
一日5分でよいが、毎日続ける。単純な計算でもよいが、分数が得意なら分数の計算というように、解くために構えない分野が良い。
 (2)コミュニケーション
日常の会話をするだけでも前頭前野が働く。旅行、遊び、何でも良い。しかも集団で行うときに前頭前野がしっかりと活性化する。会話では言葉以外に表情やゼスチュアを受け持つ機能を働かせるためにも、会話では人としっかり目と目を合わせて会話することが大事である。
 (3)手指を使って、何かをつくる
料理 料理、楽器の演奏、絵画、文字を書く、手芸や裁縫、工作など。
しかし単純に指先を使うだけでは前頭前野は働かない。手指を使うだけならサルでもする。手指で「何かをつくるときに活性化する」ことが大切なポイント。
 反対に前頭前野が働かない、頭を休める場合、リラックスする状態とはどのような時か。テレビ、漫画を見ているとき、ゲームをしているような状態である。
 テレビは「聞く、見る」機能だけ使っている。前頭前野の働きが下がる。リラックスしている状態である。楽だから、人間はテレビを見てほーっとしている。楽でなければテレビの前で過ごさない。“テレビ漬け”はボケを早める。当たり前の真ん中≠ナある。
 老人ホームではよく集団でテレビを見させる。きわめてよくない。認知症を進行させる最大の“逆ケア”とも言える。
 マッサージを受けている状態も前頭前野が働かない。モーツアルトが癒しの音楽と感じる人が多いが、大人がモーツアルトを聞くときも前頭前野が働いていない。
 人と人が顔を合わせ、“リアルなコミュニケーション”を交わすことが大事なのであり、できるだけ外へ連れ出して話をさせることが重要である。

7.読み書き計算の効果
 脳を鍛える効果、認知症を改善する効果として、計算、音読、単語の記憶力テストなどの開発を行っている。ドリル訓練も毎日15分やれば効果が高い。
 現在では痴呆症の高齢者の症状を改善する「学習療法」が確立してきた。さらに研究は痴呆の予防ができるところまで進んでいる。運動によって体を鍛えることができると同じように、脳も鍛えることができる。
 高齢者専用の「教材開発」も進めている。既に4千数百枚のシートを開発済み。
気をつけなければならない問題は、高齢者は子供と違うことである。易しい検査では「何んだ、こんな易しい問題をやらせて、バカにするな」となり、逆にできない問題になると本人は著しくプライドを傷つけられ、次には見向きもしなくなる。併せて自分自身で脳機能の劣化を自覚し、内に籠もり始めるとするといっそう劣化が進行する。そこの兼ね合いが難しい。
 できればいつも百点取れるよう、その人のレベルにマッチングさせることが難しい。年齢相応の脳機能が低下する。誤りのないトレーニング方法を選択しなければならない。
 いくつか痴呆症が改善した症例を紹介する
 (1)99歳の女性
アルツハイマー型痴呆症で、ほとんど口を利かず、家族が来ても表情も変えない。
看護師が根気よく話しかけ、読み聞かせを繰り返したところ、認知症の改善がみられ、やがて再び口を開くようにまでなった。
この女性は小さいころから苦労して育ち、尋常小学校もきちんとは卒業していない。そのことが長い間こころのわだかまりとなっていることが分かった。そこで英語の勉強をしたいという。1年余りで30の単語を覚え、3年になると100に増えた。ビデオのように、普通に会話を交わすことができるまでになり、別れ際にはこのように「グッバイ。シーユー!」が挨拶代わりとなっている。バイバイしている彼女は103歳を超えた。
 (2)もう一つの例は85歳の女性
アルツハイマー症で、しかも寝たきりの状態であった。看護師が寝たきりで反応がない患者に根気よく童話を読み聞かせを続けた。3ヵ月ほど過ぎてから、次に反応があってもなくてもお構い無しに、文字を一字一字指しながら声を出して読み続けた。すると半年たったころ患者が文字に向けて指を動かし始めた。1年が経過した頃、起こしてやると半身起き上がった状態で、文字を見ながら声を出すところまでになった。この女性はいま車イスで自主生活ができるところまでになっている。
 このような症例を紹介すると、すぐに「インチキ宗教」の代名詞のように疑われるのがオチなので、このデータは10年ほど伏せてきた。
 現場での改善事例は、現在では既に二桁以上の施設で効果が確認されている。
 このプロセスはちょうど、赤ん坊に本の読み聞かせをし、少し大きくなると一緒に声を出して読んであげるやり方と同じである。

8.脳ウェルネス活動から市民ボランティア活動へ
 学習療法では「アルツハイマー型認知症」の方を含めた、多くの痴呆症高齢者の人たちの脳機能の改善に成功してきた。
 コミュニケーション力の回復から身辺自立が可能となるなど、自分自身の力で立ち直ることが可能なことが科学的に分かってきた。
 認知症対策は医療機関だけで取り組むことは限界がある。地域での市民活動として取り組む運動を進めている。
 「痴呆症」に対する学習療法は6ヵ月で成果が上がり、いったん学習すると認知機能はなかなか下がらない。
 仙台では「脳ウェルネス活動」という市民のボランティア活動として取り組んでいる。いわば市民参加型の「脳の健康教室」で、ここで使っているドリルが大変好評である。  
 一定期間の学習が、「自立効果」ももたらす。特に認知症か認知症でないかグレーゾーンにいる、軽度の認知症を正常に近い領域へ戻すことができるなど、トレーニング効果が大きい。
 まだ「認知症」を予防できるとまではいえないが、トレーニングによって、病院で寝たきりの状態を2〜3年あと送りできる可能性がある。この取組みは一種の予防対策と言えなくもない。

 子供と高齢者とが一緒になって取り組む調理実習の事例
 地域によっては男子厨房に入るべからず≠ニいう風習が残っているところもあるが、認知症から見て、見直さなければならない。
 前頭前野の機能の向上は、意識して使うと効果も大きい。脳を鍛える活動が「地域づくり」に役立てられないかという発想から、高齢者と子どもが一緒に過すプロジェクトに結びついた。
 最近の子供の悪さが目立つ。夜遅くまでコンビニにたむろする。大人は子供ばかり非難をするが、それは大人がつくった社会に子どもおいているに他ならない。
 地域の教育力が低下した。他人の子供を叱らない、見て見ぬ振りをする。そのような社会を大人自身がつくってきたのではないか。
 仙台での実践ではいま、脳ウェルネス活動から地域交流へその活動の幅を広げつつある。
 高齢者の学校へきてもらい、子どもと触れ合いながら読み書き、計算に取り組んでもらう試みを進めている。高齢者が子供に読み聞かせる。あるいは高齢者が小学生低学年と一緒に過すような、高齢者・子供プロジェクトに取り組んでいる事例である。
 高齢者に学校へ週一回だけきてもらい、子ども一緒に過ごす。その他の日は宿題と称して自宅で学習をしていただく。
 市民活動の領域で注意すべきことは、高齢者と小学生とを先生・生徒の関係においてはならないことである。高齢者と子供を同じ対等の立場に立てて、インストラクターが先生役、高齢者と子供が生徒役で、高齢者が子供と同じ目線に立ってコミュニケーションを行なうことがきわめて大事である。
 仙台で実際にあった事例であるが、いつも来る老人がしばらく姿を見せなくなった。気づいた子どもたちがその老人が病気で倒れているのではないかと心配して、親を説得して何人かの親と一緒にアパートを訪ね、管理人に立ち会ってもらって部屋を開けてもらった。老人はいなかった。結局、後で老人が旅行に出かけていたことが分かり事なきを得たが、老人と子どもの間で、大切なコミュニケーションが出来上がっていたことを表している。
 高齢者が元気でいてくれないと社会は破綻してしまう。科学的に脳をどうすれば元気にできるか研究で分かってきた。高齢者に意識して脳を鍛えるもらうシステムを作ることで“少子高齢化”の問題も乗り切れるかもしれない。


9.質疑から
 (1)詰め込み主義
詰め込み主義の教育システムは、戦後、中小企業のものづくりを活性化させ、日本経済を支えてきた側面は評価せねばならないが、一方でゆとりの教育の時代では社会的な活力が失われつつあるのではないか
IT化の進行は“脳機能の活性化”という意味では逆効果をもたらす。楽にやりたい、楽して金儲けをしたいという風潮は、人間のものづくりの価値を見失っている。
教育システムではゆとりと活力が失われつつある。ゆとりと学習すべき中身の増大とは今日の教育は矛盾した内容を含んでいる。現代は今の大人が作り出した世界である。子供に仕向ける世界ももう一度大人から作ってやらなければならない。
 (2)ボケ・認知症と物忘れの違いは
物忘れは加齢によってごく自然に、連続的に低下していく現象。
一方では嫌なタイプのボケ症状があり、明確にはAかBかに分けることは難しい。
身辺自立できない“ボケ症状”は生きていくうえに困る事象である。
 (3)学習療法の効果
学習療法の効果は高い。介護の現場や家庭だけで支える負担は過大となる。地域で支えることによって負担の軽減や、社会保障制度のあり方を考えるときに高齢者が元気で活躍してくれることによって、医療の行政投資も軽減させていく方法を考えなければならない。
 (4)運動中の脳活動の計測はできるのか
未だできていない。
現在の研究段階では、予想であるが「前頭前野が働いているはず」としか言えない。